東海ブロック

静岡県 富士宮市 大石寺 阿部日顕・所化
静岡県 富士宮市 大石寺「遺骨大量不法投棄事件」
静岡県 富士宮市 大石寺 阿部日顕
静岡県 富士宮市 大石寺 蓮成坊 石井信量

静岡県 富士宮市 大石寺蓮○坊 石井の信ちゃん
静岡県 富士宮市 大石寺間近に見る45年間の明暗
静岡県 富士宮市 大石寺 野村慈尊(現・千葉県 清涼寺)
静岡県 下田市 蓮徳寺 深沢道志
静岡県 沼津市 蓮興寺 関戸慈成
静岡県 静岡市 妙盛寺 有川岳道
愛知県 刈谷市 教明寺 吉本恵道
愛知県 岩倉市 興道寺 松岡慈親

愛知県 犬山市 妙典寺 戸高監道
岐阜県 美濃市 本玄寺 諏訪涼道
岐阜県 多治見市 開顕寺 田村慈観
岐阜県 岐阜市 久成寺 小林京道
岐阜県 恵那市 得浄寺 塩満齢道(旧住職)
岐阜県 恵那市 得浄寺 桐越正忠(現住職)

岐阜県 美濃加茂市 慧日寺 上田元道
岐阜県
 各務原市 
本栄寺 高杉里道

三重県 度会郡小俣町 法顕院 国井位道


新着1/26

静岡県 富士宮市 大石寺 阿部日顕・所化

輸送班時代から162回の登山運営
すでに日顕の悩乱≠ヘ始まっていた

大分県宇佐市 OH(自営67) 2004/1/17(土)掲載

 日顕宗の凋落を物語るように、脱講者が相次いでいる。わが大分牧口県でも、ここ数年、156人が法華講と決別した。

 男子部時代の私は、輸送班(後に創価班に改称)の県責任者として、162回の登山会を担当した。その間、坊主の横暴さ、品性を欠く振る舞いに、何度、失望感をもったことか。特に日顕が法主になってからの大石寺は、坊主の風紀が極端に乱れ、すさんだ空気が境内を覆っていた。坊主の豪著な生活。各坊の車庫には、庶民生活からはほど遠い高級車があった。

 ある真冬の早朝。境内の巡回任務についているときだ。六壷の裏で所化が78人たむろしてタバコを吸っていた。むろん、皆、未成年である。丁重に注意を促した。すると、ふくれっ面でタバコをもみ消し立ち去った。彼らは、いつも素足だった。差別への反動もあったのだろうか。先輩坊主から虐げられ、陰で憂さ晴らしでもしなければ、やっていけなかったのだろう。かわいそうでならなかった。私は心まで寒々とした。

 坊主女房の信徒蔑視などは、もう慣れっこだった。登山会の責任者が、「お世話になります」と、あいさつしても、会釈さえしない。坊主は坊主で、勤行の導師を頼むと、むっとして引き受けるなら、まだいい方だ。

「忙しいから」と、にべなく断られたことが、何回あったことか。

 夕闇が迫る。坊主は、生気がみなぎる。カツラを用意し、信徒からせしめた供養を懐にたっぷり入れ、遊興へ"いざ、出陣!"だ。これを、見て見ぬ振りをしている所化たち。思わず、"ああ"とタメ息がもれた。

 何よりも憤慨したのは、日顕の所化に対する「おい!おめえら」と、怒鳴り散らすさまと、"伏せ拝"の強要だ。日顕が境内を移動する折、姿が見える前から土下座して頭を地面にすりつける。

顔を見ることなどもってのほかだ。当時から、日顕の歩くところ"風雨激しく"との評判だった。

だから、雨脚が激しくなると、衣服はもちろん、体も濡れかぜをひく。中啓をぱちぱち鳴らしながら、"法主のお通りだい"とばかり、日顕がまかり通る。すでに、悩乱は始まっていたのだ。

 あの早朝の未成年喫煙者に続いた後輩たちも、先輩をかがみとして遊興の道を歩んでいる。

 私は日顕宗・蓮覚寺(宇佐市)の総代も経験した。当時の住職は大泉元照だった。末寺住職の退廃も行き着くところまで来ている。

 私は、大石寺で見てきた事実、末寺住職の実態を、これからも声を大にして訴え抜いていく。


静岡県 富士宮市 大石寺 「遺骨大量不法投棄事件」

遺骨投棄で断罪された大石寺
10年戦った被害者の会の勝利
愛知県一宮市 WT(主婦46)2004/1/24掲載

 昨年1219日、遺骨の大量不法投棄事件で、大石寺(代表役員・日顕)が断罪されました。最高裁判所が、損害賠償を求めていた4人の遺族に、総額200万円の慰謝料の支払いを命じる判決を下したのです。

 ちょうどこの日は、日顕の81歳の誕生日。原告の4人は、全員「大石寺納骨被害者の会」のメンバー。私も同会の一員だけに、どれほど胸のつかえがおりたことか。

 大石寺の遺骨大量不法投棄に不安を抱いた納骨遺族の有志で、1994(平成6)7月、「大石寺納骨被害者の会」が結成されました。

 わが家は両親の遺骨を合葬しました。それが米袋に詰め込まれ、ゴミ同然で大納骨堂の地下室に放り投げられていたのです。両親に申し訳なく、怒りが抑えられませんでした。

 「被害者の会」の一員として、関係官庁への陳情に何度も足を運びました。また、大石寺にも直接、談判しましたが、いつも門前払いでした。糾弾大会も開き、20003月に4人の遺族が提訴。

 昨年4月、東京高裁が大石寺に200万円の損害賠償命令を下しました。社会的関心が非常に大きく、遺族たちの記者会見は、テレヒや新聞で大々的に報じられ、日顕宗が「反社会的な集団」として、日本中に知れ渡ったのです。

 そして昨年暮れ、大石寺の全面敗訴が確定。「被害者の会」を結成して10年、その間私自身、日顕宗への怒りを正義の対話のバネとして、9世帯の法華講員を救済、7人の友へ弘教を実らせてきました。

 この遺骨大量不法投棄をはじめ、昨年は半年間に、最高裁で3回も敗訴した日顕とその一派は、前代未聞の「悪逆坊主」です。ますます正義の対話を重ね、日顕宗に言論の鉄槌を加えていきます。


静岡県 富士宮市 大石寺 阿部日顕
静岡県 富士宮市 大石寺 蓮成坊 石井信量

身近に知った日顕の素顔
信心二の次、趣味に専念

愛知県阿久比町 A・E(主婦) 2003/9/19掲載

 私が、ある薬草を知ったのは、20年ほど前の登山会だった。

 親族が、〃日顕の金庫番"と言われた大石寺理事の石井信量に嫁ぎ、私たち家族は、登山するたびに、石井の蓮成坊に宿泊した。ある時、その義姉から二つの袋を渡された。「薬草の一種なんだけど、体にいいらしいから飲んでみて。御前様も飲んでいるのよ」

 私は、薬草の効用は、人づてにも聞いていた。ただ、ショックを受けたのは、薬草のほかにも日顕が健康飲料と称するものに、かなりの関心を持っていることだった。「少欲知足」の範を示すべき法主の立場にある人が、寿量品で説く妙法の「是好良薬」を軽んじるような、生活をしているのは、いかがなものか、と。この義姉の話は、私の脳裏に深く刻まれ、日顕の品性に疑問を抱いた最初だった。

 その後、私は登山を通して、日顕宗坊主の供養ムダ遣いの実態を知る。彼らは、とんでもない"インチキ僧侶"の集団だったことが分かった。だから、日顕の〃C作戦"なる陰謀の企てが発覚し、私が身内から「学会を辞めろ」と迫られた時も、「信心のかけらもない日顕にはついていけません。仏意仏勅の学会からは死んでも離れません」と、言い切った。今思うと、その時こそ、私の広布の人生を決めた瞬間だったと確信している。

 それにしても、日顕宗はずる賢い。好智にだけは長けている。学会に〃オンブにだっこ"のように寄り掛かり、何一つ広布の足跡を残していない。石井信量がその格好の例だ。大石寺「管財室」に20年も君臨し、日顕に取り入り、学会員の供養を好き勝手に散財してきた。達成坊にあった高級な骨董品の数々が、それを物語る。気の毒に思うのは、この期に及んで、いまだ〃衣の権威"にすがる法華講員だ。私は、議員の皆さんに一つ一つの事実を率直に語っていきたいと思う。


静岡県 富士宮市 大石寺蓮○坊 石井の信ちゃん

日常茶飯事というか、、、、 投稿者:禿げバスター  投稿日: 平成15年1月12日(日)16時01分19秒 掲示板より

禿げの世界では常識なんですよ。
世間の常識は禿げの非常識なもんで。確かにすべて挙げたらきりないです。
以前の金庫番だった蓮○坊の石井の信ちゃんもハメ撮りの常習犯で、女中との淫行のポラロイドが巷に流れて大慌てした事もあったっけ。
禿げ=阿呆という方程式が成り立ちます(笑)
ま〜おっ小さんが有名な花和尚で、裁判所お墨付きだから当然なんですけど、、、
禿げと阿呆は伝染するって事ですな。
買春するのは男の解消として許しても、数十ドルで売春婦ともめるなっての!
一宗の教学部長がさ!なさけなっ・・・(>_<)
一発やったんだから素直に銭払えば安く済んだものを、、(笑)
シアトル問題また浮上すると、すんなり引退できなるなるかな??


静岡県 富士宮市 大石寺

転げ落ちる日顕宗・衰亡史
間近に見る45年間の明暗
静岡県富士宮市 H・A (自営78歳) 2003/8/18(月)掲載

 私は1958年(昭和33年)以来、大石寺で売店を開いています。

 45年間、ずっと大石寺の盛衰を、この目に刻んできました。学会の至誠の外護により、昼でも暗かった本山内が整備され、明るくなり、大化城、大客殿、正本堂などが次々と建立されていった興隆・発展をたどった時代。。

 90年(平成2年)、日顕らが「C作戦」の謀略を画策。そして血迷った学会破門。以後、衰亡の坂道を、急転直下、転げ落ちていった時代。私が、目の当たりにした、大石寺の衰亡史は、そのまま日顕宗の仏罰の足跡です。

 日顕一派の陰謀後、私の店が学会員だと分かると、法華講員の嫌がらせが始まりました。一度、買った品物を返しに来たり、買う素振りをして、「この店は、学会か」と嫌味を言って去ったり。それは、陰湿でした。

 坊主も似たり寄ったりです。法華講員の売店に「これを立てれば売れる」と、「法華講員の店」と書いたプラスチック製の札を、7000円で買わせていました。商売熱心な坊主どもです。

 ところが、日を追って登山者は激減。「法華講員の店」の札も、売れない店≠フ象徴になったのです。

 私の店も大変ですが、墓参帰りの同志が、必ず寄ってくれます。皆、いい人ばかり。元気だし、何しろ法華講員とは、信心の輝きが違います。
 
 グチと文句を言いながら登山する法華講員が、このところ急増しています。それもそうでしょう。日顕の金集めのチャンス≠フ行事のたびに、土砂降りの雨が降ったり、暴風だったり、登山者は、悲鳴を上げています。

 「C作戦」の断行以来、毎年のように、11月の御大会は雨にたたられています。それまでの11年間は、一度も雨に見舞われてません。雨だけではありません。ある時は、丑寅勤行の最中、大きな雷が落ちました。誰の目にも仏罰厳然≠フ現証です。この地域で、私は、使命感を持って、聖教新聞の購読を推進しています。ここ数年来、毎年200部ほどを推進。我が地域から、日顕一派を追放するまで、店を守り、戦い抜きます。


静岡県 富士宮市 大石寺 野村慈尊(千葉県 清涼寺)

出世欲で犬猫も虐殺
日顕譲りの凶暴坊主
青森県八戸市 M・K(64歳) 2003/8/29(金)掲載

 現在、私は副支部長(地区部長兼任)として法華諸員の救済に元気いっぱい取り組んでいる。

 昭和49年5月から56年5月までの7年間、私は大石寺の労務課境内係に勤務していた。

 当時の上司は、野村慈尊だった。遺骨の大量不法投棄事件をめぐり、東京高裁から断罪(4月8日)された大石寺だが、その折、出廷して、〃死人に口なし"とばかり、すべての罪を日達法主になすりつけたのが野村だ。

 東京高裁は、「多くの疑問があり、信用することができない」と、野村の事実隠蔽の画策を粉砕した。私は、この坊主の行状を思い起こすと、今でも寒気がする。

 話は正本堂建立にさかのぼる。学会の赤誠で完成した〃世紀の殿堂"に、世界中の同志が希望に胸をふくらませ、集って来られた。私も、勇んで仕事に取り組んでいた。ところが、当時の日達法主を利用する野村の素顔を私は見た。

 自分の出世のために〃ここまでするか"と、思ったことがある。日達法主は小鳥を飼っていたが、「小鳥に危害を加えそうな犬猫は容赦するな」と、私たちに虐殺を命じたのだ。猫の場合、檻に餌を仕掛け、誘い入れると、そのまま川に沈める。犬には毒入りソーセージを食べさせ、死骸は境内に埋めさせる。〃鳥を守る"のではない。自分の出世欲を満たすためだ。

 こんなこともあった。同僚4人と仕事をしていた折、一段落したので売店で一服していた。そこへ、野村が歩いて来た。見るからに不機嫌そうだ。その時だ。近づくなり私の頭をいきなりバシッと叩いた。

 私たちを奴隷のようにこき使う坊主だった。自分より立場のない者に対する畜生根性丸出しの品性を欠く態度。怒ると、すぐ手が出る凶暴性は、まさに、日顕譲りだった。

 その日顕だが、私が退職後の平成2年、学会側に対して、「僑慢諸法だ!」と、居丈高にわめき散らした。ところが、'その直前、いけしゃあしゃあと言っていたという。「私は僧侶ですから、大きな声は出しません。冷静に公平にすべてを見ております」。舌の根も乾かないうちに、とはこのことだ。一事が万事だ。これほど言行不一致な人間を私は知らない。

 その後の言動は周知の通りだ。悩乱の度は日増しにエスカレート。仏罰の現証だ。大石寺は、まっしぐらに謗法街道を突っ走って行った。

 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書1190n)との御文を拝するとき、日顕宗の凋落は、その御聖訓の通りだと痛感。

 遺骨投棄の問題もそうだ。末寺に至るまで、日顕宗の実態はひどすぎる。

 徹底して責めなければ、極悪の本性をあぶり出せない。追撃の時は今だ。

関東ブロック(千葉県)に野村の関連記事あります。


静岡県 下田市 蓮徳寺 深沢道志

閑古鳥鳩く″仏罰寺″
広布源流の地で極悪粉砕!
静岡県東伊豆町 H・A(主婦 71歳)2003/8/2(土)掲載

 牧口初代会長が、ここ伊豆下田の漁港・須崎で、官憲によって不当に逮捕されてから、本年で60星霜。私たちは、″広布源流の地″で戦う誇りを胸に、日顕宗撲滅へはつらつと前進しています。

 学会寄進の下田・蓮徳寺に、深沢道志が住職として赴任したのは15年前。20代半ばの若者でした。当時は、学会員との応対もまともに見えました。しかし、日顧のC作戦に歩調を合わせるように、すさんだ性情を見せ治めます。

 その本性がはっきり現れたのは、当時の講頭ががんで死亡した後のことです。
 平成13年1月、深沢は自分の女房と3人の子どもを追い出し、翌14年3月、講頭の未亡人と再婚。同年11月には、子どもが誕生しています。

 あまりの早業に″破廉恥住職″として名をはせました。法華講員の間でも、「あれが出家か」と、衝撃が走りました。住職夫人におさまった女房の評判が、これまた最悪。家事嫌い、傲慢、無神経等々。

 今や5、6人、多くても10人ほどしか法華講員が訪れない″仏罰寺″。深沢道志をアゴで使う女の金切り声を、閑古鳥はあんな声か、と近隣の人々は眉をひそめています。

 私の法華講員救済は21人。わが東伊豆本部では、45世帯60人を救済しています。

 脱講した元講員は、「法華講員のときと違って、堂々と折伏ができる」と、晴れ晴れと述懐しています。ちなみに、平成12年8月に脱講したS夫妻は昨年、4世帯の折伏を達成。

 現在、伊豆下田の須崎には、″希望の槌音″が響きます。来春、待望の下田牧口記念会館が開館するのです。 
 
「邪悪を打ち破ってこそ正義の証明」が、私たち伊豆圏のモットー。初代会長の「死身弘法の精神」を継承し、日頃に鉄槌を加える使命と責任を、断固、果たしていきます。


ではでは早速! 投稿者:禿げバスター  投稿日:H14年12月17日(火)01時10分31秒 掲示板より

下田の蓮○寺の深○君!愛人との入籍おめでとう!シアトル一審判決出たら黙って寺を去ると言った君の言葉は妄語だったのかい?君のところの檀家はみんな知ってるのよんっ!君の代わりに女房が出てってどうすの?(笑)元女房をみならって君も出てく?いくら信者がいなくて、生活が苦しいからと言って岡○講頭の女房に手だしちゃね〜日犬宗では良くある話だけど(笑)家政婦は見た!いや、檀家は見た!いくら講頭が資産家だからって死んでから、即入籍じゃ保険金目当てバレバレじゃん!甘い生活もそー長くは続かないから、今のうちに楽しみなさいな。そうそう、あぶく銭入ったのに奉安堂供養ケチるなぁ〜!ニッケンさ〜ん!深○君が供養ケチってまっせ〜〜(笑)


静岡県 沼津市 蓮興寺 関戸慈成

先祖代々からの法華講員が離脱
坊主の"供養強要"に怒り
静岡県沼津市 F・K (主婦51歳) 2003/8/26(火)掲載

 平成13年10月、私の友人とその家族全員が蓮興寺(沼津市)から脱講しました。私の住む地域には、先祖代々法華講の家庭が多くあります。

 脱請した友人も嫁いだ家が、300年ほど続く法華講。彼女は結婚を機に講員となったのです。義父は総代として、寺に尽くし抜いて亡くなりました。

 その3回忌法要の時です。住職の関戸慈誠の供養の強要"発言が、遺族と親せきを怒らせたのです。あなたたちは、もっと供養しなければならない、との脅迫めいた話に遺族は憤慨。家族で脱講を決めたのです。

 父親が多額の供養はもちろん、雑事を含め、どれだけ関戸のために働いてきたか。友人が語るには、それにしては、義父の葬儀の折の関戸の礼を欠く態度が、身内で話題になっていたそうです。

 3月、友人は沼津文化会館で開催された創価学会の春季彼岸勤行法要に参加しました。その時の衝撃。凛と響く導師の勤行の声。会場に漂う厳粛な空気。御書を拝し、日蓮大聖人の御精神を学び合う参加者。これこそ、「真の信仰だと痛感」したのです。

 8月15日。友人は諸精霊追善勤行法要に参加。心から義父の追善をすることができたと感動しています。9月7日に行われる教学部任用試験の教材も学んでいます。「創価学会の会合に参加すると元気が出るわね」と、信心の喜びを語ります。

 そもそも関戸の供養べの執着"は、法華講員の間でも有名で、その失望感は日増しに深まっています。ナメクジがはい回るような言語不明瞭な勤行。説法と言えば、信心は〃供養に尽きる"との話だけ。御書を拝しての説法など記憶にないと評判の坊主です。

 さらに、日顕の法主詐称"問題が波紋を広げ、私たちの法華講救済は、最高の上げ潮へ向かっています。

 友人のように日顕宗坊主の〃あきれた行状"に、きっぱりと決別した勇気を、他の法華講員も持てるよう、私たちは、徹底して"ニセ法主・日顕の本性"を語り抜いていきます。


静岡県 静岡市 妙盛寺 有川岳道

こき使われる法華講員
塔婆で供養収奪!日顕宗のお盆
静岡市 O・Y(主婦62歳) 2003/9/2(火)掲載

 今年のお盆でも、日顕宗は〃金の亡者"ぶりをいかんなく発揮しています。

 刊行物でも、"塔婆こそ仏法の本義"と、法華講員をムチ打つようにハッパをかけていました。

 静岡市の日顕宗・妙盛寺では、幹部講員が議員宅を訪問し、「彼岸」と「お盆」の塔婆供養の申し込み数をチェックし、それを地域別に掌握していまし
た。一体、このように信徒をこき使う宗派が、他にあるでしょうか。

 "お盆法要"当日の妙盛寺で、住職の有川岳道は、供養収奪の道具と化した塔婆に囲まれ、こう力説したそうです。〃年々、先祖供養への心が薄れつつある。それは、地獄界だ。本日の供養が未来の大功徳となる"と。

 この話を参加者の一人から聞いた私は、本当に法華講員は気の毒だと思いました。

 私は、ある法華講員に訴えました。塔婆供養について、日蓮大聖人は何と教えられているか。〃塔婆が必要"などと、御書のどこにあるのか。「我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし」(御書1111汀)との御文を拝し、真剣に信心に励むことこそ、追善の精神であることを話しました。

 その結果、5月に三重県在住の講員、8月には妙盛寺の講員を救済することができました。

 三重県の議員は、事故で6ヵ月間入院した折、学会員の知人が何回も見舞いに来てくれたのに、講員はだれ一人来てくれないと落胆。もう一人は、悩みごとの相談のため、講員に何度も電話したのに、だれも来てくれず、ショックを受けていました。

 信心もない。人間味もない。あるのは、ただ〃供養の催促"だけ。日顕宗の本性は、〃金の収奪集団"であることを痛感し脱講を決意されたのです。

 いよいよ、法華講救済へ勇んで取り組んでいきます。


愛知県 刈谷市 教明寺 吉本恵道

十数年間、寺で2千本の造花作り
一言の礼もなく贅沢三昧の坊主
愛知県刈谷市 KT(78) 2003/11/28(金)掲載 

 日顕宗の教明寺(刈谷市)には、夫婦で力の限り尽くしました。 

 毎年10月の御会式に飾る造花のシン作りを、夫婦で十数年間、担当しました。毎回、数日間、夜中までかかって約2000本作製。出来上がった時には、指先の皮が破れ、血がにじみました。 

 しかし、住職の吉本恵道から、一言のねぎらいの言葉もないのです。「お金は、かからない」と講員から聞いていましたが、毎月の講費をはじめ、毎月1日の「先祖供養の日」、御講、春秋の彼岸と8月の盆、寺の維持費、強制的に参加させられる年6回の登山会など、供養と称して年間、約30万円も搾り取られていました。 

 「おかしい」と思いつつも、周囲の講員が、寺のいいなりになっているので、従わざるをえませんでした。 

 法華講仲間の金銭トラブルに巻き込まれた時、妻が親しい学会員に相談しました。その時、住職の吉本が、議員から供養をもぎ取り、賛沢三昧の生活に明け暮れている実態を知らされ、がくぜんとしました。 

 --供養のお金を無造作に段ボール箱に詰め込む。塔婆を頼まれると供養だけ取って、塔婆を立てない。葬儀の供養が少ないと言って供養を再請求--こうして、信徒を食い物にしていたのです。この時から、私たち議員を救おうとする、学,会員の言葉が素直に聞けるようになったのです。 

 日顕宗への怒りが頂点に達したのは、平成10(1998)の日顕による正本堂解体の強行でした。寺に、なぜ破壊したかを問いただしました。その翌日、わが家を訪ねてきた住職の吉本は、「近いうちに大地震があるから、耐震性のある建物に作り替えるのだ」と、目をつり上げて言うのです。幼稚な言い訳にあきれ果て、返す言葉がありませんでした。 

 わが家の幸せを願い、日顕宗の悪行を語ってくれる学会員の真心に打たれ、平成11年、教明寺に脱講届を送りつけました。講員時代の十数年間を振り返ると、身も心も疲れ果て、家族もバラバラ。生活は悲惨の二字でした。それが、脱請した翌年の夏、5年間、音信不通だった息子が、突然、帰ってきたのです。 

 さらに、疎遠になっていた孫も家族を連れて訪ねてきました。その後、息子が御本尊を受持しました。脱講してからうれしいことが続き、法華講時代が悔やまれてなりません。私同様、学会批判の噂やデマに惑わされ、寺に従っている講員の救済に、頑張る決意です。


愛知県 岩倉市 興道寺 松岡慈親

閑古鳥が鳴く日顕宗末寺
供養強要が苦痛の講員救済へ

愛知県岩倉市 T・E(主婦54歳) 2003/9/26(金)

 3年前、嫁いだ岐阜から30年ぶりに故郷の岩倉市に帰ってきました。実家の近くに新居を構えたためです。

 この3年間、地域を回って驚くのは、町並みの様相が一変したことです。なかでも日顕宗・興道寺のさびれようには大変、驚きました。まさに閑古鳥が鳴く寺"です。かつての勤行・唱題の朗々とした響きがウソのようです。

 この地域は、先祖代々からの法華講員が多くいます。その知人の一人が言っていました。「多くの講員が、寺に対して尊敬も信仰心も、ほとんどない」と。それは、日顕の「C作戦」の暴挙以来だと言うのです。地域の人も、「あの寺も学会でもっていたのだから、もうダメだろう」と言っています。

 さらに、住職・松岡慈親の「供養の強要」と「傍若無人な態度」を、講員たちが毛嫌いしているのです。例えば、歩いて数分で行ける講員宅の法要でも、車で送迎させるなど、何様か"と陰口をたたかれています。

 法要での供養ねだり"も度を越していて、壮年講員は欠席を決め込み、代わりに奥さんを参加させています。この風潮こそ、坊主への憤りの表れだと思います。

 法華講は、自覚が希薄な講員を隣組"の関係にして、登山なり法要なりに連れ出します。そのよしみ"で、仕方なく参加しているのが、大半の講員の実情です。

 先日、婦人部の方と35年間、対話を重ねていた友人が、「信心をしたい」と、自ら進んで入会しました。この方も、学会員と法華講員の明暗を見てきたのです。

 旧習へのこだわりが強い講員の中にも、日顕宗への不信感は日増しに募り、私たち学会員の話に耳をかたむける人が増えています。旧信徒の法華講員救済へ全力を尽くそうと、皆さん燃えています。歪み切った日顕宗の実態を、大いに語り抜いていきます。

あきれ果てた永代供養
平然とウソをつく日顕宗坊主
愛媛県江南市 T・M(主婦 46歳) 2003/8/10(日)掲載

 先日、日顕宗・興道寺に母と娘と3人で行ってきました。永代供養の台帳から、母方と父方の実家の名前を消去してもらうためです。

 昭和56年(1981年)、母は、興道寺の現住職の父親に当たる先代に数十万円の供養をしました。その折、「永代供養として受け取ります」と、言われたのです。その後、日顕のC作戦の陰謀が発覚。永代供養の話もそのままでした。母は、「ずっと気になっていた」と言います。

 現在の住職・松岡慈親に尋ねると、「永代供養の台帳はない。しかし、宗派は変っても、その家が途絶えても、寺は代々の住職が永代供養をずっとやっていく」と言うのです。永代供養の台帳がないのに、どうして代々の住職が継続していけるのでしょう。こんな矛盾した話があるでしょうか。

 しかも、寺の入り口には、「創価学会員の方へ」として、学会員は信者ではない等の張り紙もしてありました。何が宗派が変ってもですか。平然とウソをついているのです。学会員の永代供養などしている訳がありません。在家をバカにして、居丈高に話するから、なおさら意味不明の答えになってしまうのでしょう。

 母は、きちっとこちらの真意を伝えなくては、と誠意をもって尋ねたのです。私たち3人は、日顕宗寺院のいい加減な実態を、痛感させられました。

 かつて、私たち学会員は、毎年、新年の寺行事が終わると、掃除に出向きました。僧俗和合を実践しようとの真心の行為でした。終了後、供え物の餅が配られます。ところが、かびだらけ。とても食べられませんでした。湯飲みは、学会員用と、法華講員用に分けられ、私たち学会員は、縁のかけた湯飲みでした。

 学会憎しの怨念は、こんなところにも及んでいたのです。

 衣の権威で学会員を苦しめ抜いた日顕一派。断じて、その蛮行を許さないとの決意が込み上げます。


愛知県 犬山市 妙典寺 戸高監道

"供養の二重取り≠ノ抗議したら
日顕宗坊主のあきれた脅迫

愛知県犬山市 K・A(主婦60歳) 2003/9/22(月)掲載

 かつて、私は日顕宗坊主から脅迫まがいの嫌がらせを受けました。

 犬山市の日顕宗・妙典寺の住職・戸高監道に対して、過去帳の〃供養取り立て"が、「あまりにひどい」と抗議したためです。

 ある婦人が過去帳の作成を戸高に依頼した時、その場で供養を取っておきながら、後日、受け取りに行くと、従業員を使って再び供養を取られたのです。私は、
この〃供養の二重取り〃を許せませんでした。

 その直後です。寺の掲示板に私を中傷する一文が張り出されたのです。戸高の直筆で「さんざん世話になった住職に悪態をついた……」と。信徒をこき使いながら、よくも、いけしゃあしゃあと言えるものです。あきれて二の句が継げませんでした。

 その後、私への法華議員の嫌がらせ電話が、連日のようにかかってきました。戸高の指示かどうかわかりませんが、こんな坊主に率いられる法華講員の気が知れない、と思いました。

 そんな渦中のある日。夫が銀行に行った折、戸高にバッタリ会ったのです。戸高はふてぶてしくも、次のように言ったそうです。「うちのもんが、あんたの家に押し掛けると言っているが、俺には止められんでな」。私は心の底から怒りを覚え〃こんな坊主に断じて屈してはならない!"と思いました。

 ここから、私の日顕宗打倒への戦いが強まったのです。講員に坊主の行状を率直に訴えました。その中に、法華講の中部登山部長であり、妙典寺の副講頭を務める壮年がいました。

 その副講頭は、学会壮年部の方と対話を重ねるうちに、こう語り始めたのです。「寺に嫌気がさした。あの寺の住職は信者を食いものにしている。知り合いの議員も愛想が尽きた、と言っている」と、脱講届を大石寺に送りました。

 法華議員の間に広まる坊主不信の波紋--議員救済の絶好の時と、決意を新たにしています。


岐阜県 美濃市 本玄寺 諏訪涼道

″宅御講″で露骨な金集め
堕落の日顕宗と知人が決別
岐阜市 U・S(主婦 55歳)2003/8/5(火)掲載

 美濃市の日顕宗本玄寺の諏訪涼道は、凄腕の金の収奪者です。長年、対話を重ねている法華講の知人が、その露骨さに耐えきれず脱講、今、正義の対話に汗を流しています。

 これまでも、諏訪は、回忌法要をはじめ、祈願、悩み事、さらに、動物の供養など、あらゆる機会を利用した塔婆商いを行って、顰蹙をかってきました。「法華講員が哀れ」と、脱講した知人が、最も憤慨し、破折しているのが、″宅御講″です。住職が直接、講員宅を訪問して行う御講です。

 知人は6年前、法華講の幹部から、「住職が、あなたの家を訪れ、家族のことなども知りたいという。″宅御講″といって、僧侶が直接、信徒宅を訪問するのは、功徳が大きい」と説明されたそうです。知人は、素直に聞き入れました。宅御講の時は、寺での月例の各種法要と同様、精いっぱいの供養をしました。

 ところが、1度だけと思っていたのが、2度、3度と続きました。御講といいながら、信心を高める話はなく、「これでは、単なる金集めではないか!」と、疑問を抱きました。4度目の宅御講の話があった時、ついに疑問が頂点に達し、きっぱりと断りました。

 日顕の時代になって、「金、金、金」の宗門に堕落したことを語るなか、知人は2年前に脱講。

 特に諏訪は、1年分の塔婆供養を、全部まとめて「前払い」させたこともあり、金を使って日顕に取り入り、2年前、岐阜布教区の支院長になった腹黒い人間です。

 戸田第2代会長は「いつも御布施ばかり欲しがる坊主は乞食坊主だ」と厳しく断言されています。諏訪は、まさに乞食坊主です。「日顕、諏訪にだまされている人が、かわいそう。極悪を倒すまで、戦い続けます」と、破折の精神に燃える知人とともに、仏敵を責め抜きます。


日顕宗宅御講≠フ実態を見た!
信徒蔑視の"金狩り"の場
岐阜県関市 K・H(自営67歳) 2003/8/22(金)掲載

 先日、本欄で日顕宗・本玄寺(美濃市)の諏訪涼道の宅御講に嫌気がさした法華講員が脱講、との記事を読み、数年前の出来事がよみがえった。

 坊主が信徒宅を直接訪れる宅御講--当時、諏訪の宅御講には講員の間からも不満が漏れていた。「金銭の負担が重すぎる」と。私は、正直なところ「宅」が付く御講が、実際、どのように行われるのか知らなかった。そこで、法華講員にその旨を話すと、「ぜひ、来てくれ」と言うので、見学とあいなったのである。

 諏訪とは久方ぶりの対面だった。ずいぶん相が悪くなった、と思った矢先だった。私を見るなり、「何であんたがここにいる」と、けんか腰だ。これだから、日顕宗の坊主は下劣、品がないとの声が絶えないのだと思った。それでも、私は、「お久しぶりですね」と、丁重にあいさつした。

「帰ってもらってくれ」と、法華講員に指示する諏訪。私は、哀れに思った。何を尋ねても、〃帰れコール"の繰り返しだ。

 居合わせた法華講員が諏訪に言った。「御講が終わったら別室で話し合ったらいかがでしょう」と。「ダメだ」との一点張り。「だったらお寺で」と、別の講員。「寺に来ても会うかどうか分からない」と、ひたすら〃対話拒否"。これには、法華講員も意気消沈だ。

 私が去った後、この畜生坊主は指示したという。「宅御講には〃何も知らない人"を連れてくるように」と。この一言に、いかに坊主らが信徒を蔑視し、金狩りの道具としてしか考えていないか、その本音が透けて見えた。

本玄寺便りに「学会は謗法」とあった。そこで、本年2月、寺を訪れ、どこが誇法なのか、と。すると、「謗法は謗法だ」と、一つ覚えの繰り返しだ。謗法漬けの坊主らに、答えられるわけがない。

 学会員が、改葬したいと申し出に行くと、〃地獄に堕ちるぞ"と伺喝するしか言葉が出ない諏訪。

 信徒を利用することしか頭にない輩の群れ。日顕宗坊主らの、この行為が、反仏法的、反社会的でなくて何であろう。徹して、責め抜き断罪しなければならない。


岐阜県 多治見市 開顕寺 田村慈観

学会員を酷使した日顕宗坊主
仏罰厳然℃i法が断罪
岐阜県多治見市 Y・N(主婦69歳) 2003/8/19(火)掲載

私の夫は、日顕宗・開顕寺の総代でした。1981年(昭和56年)9月17日、日顕が来て開顕寺の落慶法要がありました。その折、夫は総代の任を受けました。責任感の強い夫は、それこそ寺に〃尽くし抜いた"のです。

私も一緒に本堂やトイレの清掃、草むしりなどを行いました。つらいのは真冬です。お湯はもらえず、手が凍る水での、ぞうきん掛けは、思い返すだけで心も凍るようです。

このことを、見て見ぬふりをしていたのが、非情な田村慈観・住職夫婦でした。すべてを犠牲にしても供養せよ!と、私たちにハッパをかけるのです。「宝石を売って供養を」と、迫られた方もいます。

83年7月30日の増築落慶法要の時でした。田村は、こう言いました。「土地を供養する人はいないかと。これには皆、本気かとあきれました。私たちは、仏具などお金のかさむ物品を、供養させられました。

供養の時、田村は学会員在利用するのです。法華講員は、信心薄く、ケチなことを知っているからです。その上、.癒着している法華講員から、裏の悪行を知られていたからです。

私は、日顕が学会に対して「破門通告」をした時、実は、ほっとしました。もうこれで、田村の顔を見ないですむ、と。私たち在家を、これほどまでこき使う坊主に、仏罰がないわけがない、と確信しました。

91年7月3日、田村は"友人葬嫌がらせ事件"を起こしました。事実無根のデマ文書を寺に張り出し、友人葬を冒涜。遺族への中傷。ついに、学会員が名誉鍛損で訴えました。結果は、同志の側が完全勝訴。司法の厳しい断罪が下り、賠償金の支払いが命じられたのです。

近ごろ、田村は私たちを極端に避けています。
皮省を促すため、会いに行っても、義母しか出てきません。こんな情けない坊主に尽くす法華講員を、1日も早く救済しなければと、日顕宗打倒へ決慧を新たにしています。


岐阜県 岐阜市 久成寺 小林京道

もう日顕宗にだまされない!
家族全員が脱講、広布に生きる

愛知県一宮市 A・K(主婦52歳) 2003/9/11(木)掲載

 法華講を脱講するまで、わが家は夫の仕事の経営不振もあって、無力感が漂っていました。
 次々に起こる家庭内の問題を、所属する日顕宗・久成寺(岐阜市)の住職・小林京道に相談しても、「まあまあ……」と、口を濁すだけです。親身になって話を聞いてくれないばかりか、信心に対する確信のかけらもない言葉に、失望感は日増しに募っていきました。

 坊主がぐうたらなら、講員もそれに影響されて、寺に集うと人の噂ばかり。そして、〃供養の徹底"を叫ぶ坊主と幹部講員の声だけが、耳にこびりつくのです。ほとほと嫌気がさしていました。

 そんな時です。学会婦人部のTさんがわが家を訪れ、日顕宗の実態を話してくれました。話が進むなか、Tさんは、仏間に掲げてあった日顕の写真を指さし、「これが不幸の元凶です!」と。私も内心は〃そうだろうな"と納得でした。

 しかし、意地を張って突っぱねました。「大石寺に行かないで、信心の功徳はないのよ!」と。その時です。Tさんは私の心情を察するように、「では、今、あなたは幸せなの」と、諭すように話してくれたのです。

 私はハッとしました。講員として寺に通ってきた間、心から笑ったことがあったろうか、心から納得したことが一つでもあったろうか等々、私は自身に問いかけ、日顕宗と決別する決意が固まったのです。

 平成11年10月。わが家は家族全員で脱講できました。その後、両親も脱講。先月、夫は初めての弘教を実らせました。家庭に新鮮な息吹が戻り、信心即生活の実感をもてるようになりました。

 日顕宗坊主は、何かにつけて〃衣の権威"をひけらかします。しかし、その奥に潜む〃臆病な性根"を私は見ました。信徒蔑視も、裏を返せば畜生根性です。卑劣な学会批判も、嫉妬にほかなりません。私たち家族は、もう、だまされません。広布に生きる人生を貫き、信心即生活の勝利を、必ず示していきます。そして、苦しむ法華講員に日顕宗の仏罰を訴えてまいります。


岐阜県 恵那市 得浄寺 塩満齢道(旧住職)
岐阜県 恵那市 得浄寺 桐越正忠(現住職)

シアトル裁判敗訴の衝撃
日顕不信強め相次ぐ脱講

岐阜県中津川市 K・R(主婦65歳) 2003/9/30(火)掲載

 日顕宗・得浄寺(岐阜県恵那市)には、主に恵那市、中津川市の法華講員が所属していますが、ここ数年で30世帯が脱講しました。まだまだ脱講者は続くでしょう。私たちの講員救済は、いよいよ勢いを増しています。

 それにしても気の毒なのは法華講員です。初代講頭から3代講頭まで、がんで死亡。さんざん坊主に仕え、神経をすり減らし、ストレスが限界に達していたのでしょうか。

1988年(昭和63年)11月24日、学会寄進で建立された得浄寺の落成式が行われました。強風が吹き、横なぐりの雨の中、日顕が来ました。その時の日顕の不機嫌そうな顔が、強く印象に残っています。天候不順を怒ってか、一触即発の形相で周囲はピリピリしていました。当時の住職は、24歳の塩満齢道。日顕に取り入って昇進をした茶坊主、との評判でした。
 
 その後、シアトル裁判"が始まってから「裁判に負けたら寺を出る」と、啖呵を切っていました。単にポーズにすぎないことは、だれもが知っていました。法華講員ですら、「格好つけたがる住職だから……」と、陰口をたたいていました。

 案の定、「日顕、シアトル敗訴」の報にも知らんぷり。この節操のなさ。私は、日顕を見た時から、その品位のかけらもない姿に、日顕宗坊主への信頼を捨てていましたので、別段、何も感じませんでした。しかし、法華講員はショックだったようです。日顕は、さんざん「裁判でハッキリする」と、得意げに話し
ていたと言うのです。このシアトル事件は、法華講員の間でも〃日顕不信"を募らせています。

 得浄寺の現住職は、今年5月から桐越正忠に。先日、同志とその桐越に会い、礼を尽くし話しましたが、開口一番、「喧嘩を売りに来たのか」です。「違います。学会員が赤誠を持って建立した正本堂が諸法なら、学会寄進の得浄寺も諸法でしょう。返還したらいかがですか。それを尋ねに来たのです」と言いますと、「馬鹿野郎、帰れ、帰れ」と繰り返すばかり。対話が成立しない相手なのです。

金づる"の講員だけが重宝される"供養収奪の日顕宗坊主"を、徹底して糾弾することは、今や講員の願いでもあると確信し、追撃の勢いを増していきます。


岐阜県 美濃加茂市 慧日寺 上田元道

「私も本当は離れたい」と講幹部
日顕の暴挙=I怒りの脱講
岐阜県 美濃加茂市 WK(主婦68) 2003/11/23(日)掲載

 学会員の方の励ましに心打たれ、2年前、日顕宗・慧日寺(美濃加茂市)の法華講と決別することができました。

 講員時代を振り返ると、いいことは一つもありませんでした。真面目に働き、懸命に生きてきたのですが、家族の関係が次第に悪くなり、その悩みを解決したくても、住職の上田元道は、何事に対しても自己中心的で、信徒の悩みなど、これっぼちも聞こうとしません。信仰心のかけらも感じませんでした。

 大きなショックを受けたのが、日顕の正本堂破壊の暴挙でした。登山会に参加して、解体中の正本堂を目の当たりにした時、言葉になりませんでした。

 登山会のバスの車中で、一人ひとりが、「正本堂の解体をどう思うか」との感想を聞かれた時、私は、怒りに燃えて言いました。「なぜこんなことをするのですか。皆が、一生懸命に働き、そして、御供養した全信徒の真心を尽くした結晶である正本堂を、無残にも壊すことは許されないと思います」とつ参加した皆も、「おかしい」「どうして壊すのか」との意見が圧倒的でした。

 もう日顕宗には、ついていけないと思うようになっていたころです。いつも対話に来てくれていた、近くの学会婦人部の方に、少しずつ悩みを打ち明けるようになりました。

 私の悩みを、親身になって聞いてくれ、一緒に唱題に励んでくれました。丁寧に信心の話をしてくれ、日顕宗の底知れない悪行を思い知りました。

 2年前、慧日寺の上田に、はっきりと「学会に行きます」と、宣言しました。その勢いに圧倒されたのか、「もう一度、戻ってきてほしい」との弱々しい哀願。これが、日顕宗坊主の情けない現状です。

 脱講後、すべての環境が変わりました。信心していない友にも、「渡辺さん、明るくなったね」と、言われます。何事にも前向きに挑戦できるようになりました。

 私に続き、息子が2年前の夏に入会、嫁と3人の孫も、昨年1月入会しました。私も息子、嫁も働いていますが、それぞれ功徳をいただき、喜んでいます。

 脱講した私に、ある法華講幹部は「渡辺さん、よかったね。学会は正しい。実は私も本当のところは離れたいんだよ。しかし、役をもらっている関係で辞められないんだ」と、打ち明けたのです。

 ああ、法華講員は、皆、学会が正しいこと、また、日顕宗と離れられない自身の弱さを分かっているのだと思いました。その講員たちに、〃勇気と励ましの風"を送るのが、私の使命だと確信し、講員救済へ前進しています。


酒と遊び好きは日顕譲り
坊主の非道に脱講相次ぐ
岐阜県 美濃加茂市 MS(主婦63)  2003/12/3(水)掲載

 日顕宗の慧日寺(美濃加茂市)の講員と正義の対話を重ね、これまでに10人を救済しています。そのなかで、住職の上田元道の冷酷非道ぶりが、明らかになっています。

 副話頭の壮年が、3年前に脱講した理由は、上田の非人間的な行状を知ったからです。それは、信仰を根幹に病気を乗り越えようと仏法を求め、寺を訪れた婦人への言動でした。

 「病気が治ると言われて連れてこられたんだろう。治るわけがない」と無慈悲な言葉を言い放ったのです。婦人の顔は一瞬、青白くなり、大粒の涙を流しました。深く傷ついた婦人は、悲しみに暮れて寺を後にしたのです。

 こうした冷酷非道な上田の本性に、大変ショックを受けた副講頭は、上田に脱講を告げる手紙を送り、慧日寺と縁を切ったのです。

 さらに、上田は金銭への執着も相当なものです。法華講員の中にも、「寺へ来い来い」と、上田からしつこく電話があることに、うんざりしている声が充満しています。寺の入り口に封筒が置いてあり、供養を入れざるを得ないような仕組みになっているのです。講員の足は遠ざかり、訪れる人が少なく、寂れる一方です。

 また、今年10月、私たちの粘り強い対話が実り、脱講した壮年講員も、金銭にうるさい上田に憤慨した一人です。

 商売をしている関係で、目を付けられたのでしょう、何かにつけて「寺に来い」と声を掛けられ、行くたびに供養していたのです。

 「来いということは供養を持ってこいということなんです。信心を深めたいと思い、教学的なことを質問すると、まともに答えられない。『寺に来い』と言っておきながら、信心を深める指導もできない。上田の頭には金しかない」と、怒っていました。

 悩める人を励ますこともできず、金と遊びしか眼中にない上田は、聖職者の衣を着た畜生です。また、上田の酒と遊び好きは、日顕譲りです。「いい店があるので、飲みに行こう」「いいビデオがあるから一緒に見よう」と、誘われた女性もいます。

 こんな坊主を、美濃加茂の地から一日も早く追放し、上田にだまされている法華講員を、一人でも多く救済していく決意です。


岐阜県 各務原市 本栄寺 高杉里道

「恩返し」胸に学会の真実語る
極悪日顕宗から講員を救済

岐阜県各務原市 AM(自営65)2004/1/26(月)掲載

 私は、同志の熱い応援を得て、長年、市会議員として活動させていただき、1997(平成9)、現役を引退しました。

 〃これからは、皆さんへの恩返しを"と、広布の最前線へ。その中で、白顕宗・本栄寺(各務原市)の法華諸員との対話に取り組み、長年付き合いがある一人の壮年議員と真剣に語りました。

 なかなか話を聞き入れてくれませんでしたが、理解すれば納得してくれる人柄を知っていた私は、〃必ず、その時がくる"と、粘り強く交流しました。

 壮年が、初めて心を開いたのは、破壊された正本堂の写真を掲載した雑誌を見せた時でした。

 「学会が赤誠で本山を外護し、800万信徒の真心で建立した正本堂を破壊した日顕を、どう思いますか」と私は問いました。壮年は、無残な姿になった正本堂の写真を見つめながら、「本山は、おかしい」と答えたのです。

 そこから対話の糸口がつかめ、名誉会長の総講頭罷免をはじめ、宗門の一方的な「解散勧告書」「破門通告書」の送付など、日顕宗の学会破壊の謀略について順を追って語り、その要因は、日顕の黒い嫉妬にほかならないと破折しました。

 寺から聞かされていた話と全く異なる内容に、日顕宗の非を悟った壮年は「腹を決めました。学会の中で信心を貫いていきたい」と言い切ったのです。そして、2001年、本栄寺の住職・高杉里道に、脱講届を突きつけました。

 高杉は、普段はおとなしそうに見えますが、信徒を金もうけの道具に利用する日顕宗の悪行を追及すると、興奮して話になりません。学会員に対し〃対話拒否"の張り紙をしていたほどです。

 脱講した壮年が、その後、生き生きと明るくなった姿を見ると、小心者の高杉に付き従う講員が、哀れでなりません。日蓮大聖人直結の学会の中で、信心を貫いていくことが、いかに大事か、あらためて確信し、法華講救済の決意を一段と固めました。

 112日付聖教新聞の「新春広宣流布座談会G」を読み、「公明党の議員候補OBよ奮闘せよ」との内容に、身が引き締まりました。

 「支持団体である学会の真実の姿を、正義を、もっともっと語っていくべきだ」を、襟を正して読み、誓いを新たにしました。立派に活動して、社会のために貢献し、人生の総仕上げを飾っていきたいと思います。


三重県 度会郡小俣町 法顕院 国井位道

偽りの遺骨保管料≠糾弾
日顕宗坊主 「この件はなかったことに」
三重県阿児町 T・A(主婦 56歳)2003/8/24掲載

 本年4月、遺骨の大量不法投棄事件をめぐり、東京高裁が大石寺に対し、遺族側に総額200万円の賠償を命ずる判決を下しました。

 末寺でも遺骨の扱いがいかにずさん極まりないかを裏書きするような出来事がありました。

 昨年11月、小俣町にある日顕宗・法顕院から、ある婦人に、遺骨保管料の請求なるものが突然、送り付けられました。寺からの請求は平成2年から同14年までの12年分という、全く不可解千万なものでした。

 その婦人は、平成元年10月に亡くなった夫の遺骨を一時、法顕院に預けたことはありましたが、同2年5月には中部池田記念墓地公園に納骨しており、分骨などはしていなかったのです。

 それなのに、なぜ、こんな請求が来るのか?ありもしない遺骨がなぜ、存在するのか?婦人と家族は、非常に不愉快な思いをしたようです。

 今年3月、「多忙な娘の代わりに同行してほしい」とのことで、私は、その婦人と一緒に法顕院へ出向きました。驚きました。応対に出た住職の国井位道が、あるはずがない荷札の付いたご主人の分骨を持ってきたのです。衝撃を受けた婦人は、二の句がつげないような状態で、「家族と相談する」と、その場は引き下がりました。

 そして、家族などと相談しながら、文書で回答を求める質問書を携え、6月に寺を訪問。私も同行しました。

 その文書を見た国井の狼狽ぶり。そして、「遺骨は前住職の宮野(審道)から引き継いだもので、夫の遺骨でないものなら、あなたへ送付した保管証と管理料の請求書を破棄してください。この件については、なかったことにしましょう」と言い逃れる始末。

 悩み苦しんできた婦人の気持ちも察せず、なかったこと"として済ませようとする狡緒さ。自分たちに都合が悪いと、闇に葬るように処置するのが、日顕宗の常套手段なのです。そうはさせないと、私は婦人に「それでいいの?」と聞いた途端です。国井が逆上。「あんたは、だれだ!なぜ同行してきた!黙っていなさい!」と。

 反社会集団・日顕宗の実態が次々に明るみに出る昨今、断じて、その極悪の根を断ち切るまで責め続けます。


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